に驚かれた。路《みち》のほとりに若い男女がいく組みとなく立ち話をしている。闇には、白地の浴衣《ゆかた》がそこにもここにも見える。笑う声があっちこっちにした。
 今年の夏休みがやがて来た。小畑と郁治とは高等師範の入学試験に合格して、この九月からは東京に行くことにきまった。桜井は浅草の工業学校に入学した。その合格の知らせが来たのは五月ごろであったが、かれは心の煩悶《はんもん》をなるたけ表面に出さぬようにして、落ち着いた平凡なふつうの祝い状を三人に出しておいた。六月に、行田に行った時に、ちょっと郁治に会ったが、もう以前のような親しみはなかった。会えば、さすがに君僕で隠すところなく話すが、別れていれば思い出すことがすくなく、したがって、訪問もめったにしなかった。
 美穂子にも一度会った。頻《ほお》のあたりが肥《こ》えて、眼にはやさしい表情があった。けれど清三の心はもうそれがために動かされるほどその影がこくうつっておらなかった。ただ、見知《みし》り越《ご》しの女のように挨拶《あいさつ》して通った。やがて八月の中ごろになって郁治は東京に行った。石川もこのごろは病気で鎌倉に行っている。熊谷の友だちで残っているものは、学校にいるころもそう懇意《こんい》にしていなかった人々ばかりだ。清三もつまらぬから、どこか旅でもしてみようかと思った。けれど母親の苦しい家計を見かねて五円渡してしまったので、財布にはもういくらも残っていない。近所の山にも行かれそうにもない。で、月の二十日には、どうせ狭い暑い家《うち》に寝てるよりは学校の風通しのよい宿直室のほうがいいと思って、弥勒《みろく》へと帰って来た。途中で、久しぶりで成願寺に寄ってみると、和尚《おしょう》さんは昼寝をしていた。
 風通しのよい十畳で話した。和尚さんはビールなどを出してチヤホヤした。ふと、そこに廂髪《ひさしがみ》に結《ゆ》って、紫色の銘仙《めいせん》の矢絣《やがすり》を着て、白足袋をはいた十六ぐらいの美しい色の白い娘が出て来た。
 帰りに荻生さんに会って聞くと、
「あれは、君、和尚さんの姪《めい》だよ。夏休みに東京から来てるんだよ。どうも、田舎《いなか》の土臭い中に育った娘とは違うねえ。どこかハイカラのところがあるねえ」
 こう言って笑った。荻生さんはいぜんとしてもとの荻生さんで、町の菓子屋から餅菓子を買って来てご馳走した。郵便事務
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