はいって、主人と細君とをしばり上げて金を奪って行った話、繭《まゆ》の仲買《なかが》いの男と酌婦《しゃくふ》と情死《しんじゅう》した話など、聞けば聞くほど平和だと思った村にも辛い悲しいライフがあるのを発見した。地主と小作人との関係、富者と貧者のはなはだしい懸隔《けんかく》、清い理想的の生活をして自然のおだやかな懐《ふところ》に抱かれていると思った田舎もやっぱり争闘の巷《ちまた》利欲《りよく》の世であるということがだんだんわかってきた。
それに、田舎は存外|猥褻《わいせつ》で淫靡《いんび》で不潔であるということもわかってきた。人々の噂話《うわさばなし》にもそんなことが多い。やれ、どこの娘はどうしたとか、どこのかみさんはどこの誰と不義をしているとか、誰はどこにこっそり妾《めかけ》をかこっておくとか、女のことで夫婦喧嘩が絶えないとか、そういうことがたえず耳を打つ。それに、そうした噂がまんざら虚偽《うそ》でないという証拠《しょうこ》も時には眼にもうつった。
かれは一日《あるひ》、また利根川のほとりに生徒をつれて行ったが、その夜、次のような新体詩を作って日記に書いた。
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松原遠く日は暮れて
利根のながれのゆるやかに
ながめ淋しき村里の
ここに一年《ひととせ》かりの庵《いお》
はかなき恋も世も捨てて
願ひもなくてただ一人
さびしく歌ふわがうたを
あはれと聞かんすべもがな
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かれは時々こうしたセンチメンタルな心になったが、しかしこれはその心の状態のすべてではなかった。村の若い者が夜遅くなってから、栗橋の川向こうの四里もある中田まで、女郎買いに行く話などをもおもしろがって聞いた。大越《おおごえ》から通う老訓導は、酒でものむと洒脱《しゃだつ》な口ぶりで、そこから近いその遊廓《ゆうかく》の話をして聞かせることがある。群馬埼玉の二県はかつて廃娼論《はいしょうろん》の盛んであった土地なので、その管内にはだるまばかり発達して、遊廓がない。足利の福井は遠いし、佐野のあら町は不便だし、ここらから若者が出かけるには、茨城県の古河《こが》か中田《なかだ》かに行くよりほかしかたがない。中田には大越まで乗合馬車の便がある。大越から土手の上を二里ほど行って、利根の渡しをわたれば中田はすぐである。「店があれでも五六軒はありますかなア。昔、奥州
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