て雇われて二年ほどいた。伊勢の大廟《たいびょう》から二見の浦、宇治橋の下で橋の上から参詣《さんけい》人の投げる銭《ぜに》を網で受ける話や、あいの山で昔女がへらで銭《ぜに》を受けとめた話などをして聞かせた。朝熊山《あさまやま》の眺望、ことに全渓《ぜんけい》みな梅《うめ》で白いという月ヶ瀬の話などが清三のあくがれやすい心をひいた。それから京都奈良の話もその心をひき寄せるに十分であった。和尚さんの行った時は、ちょうど四月の休暇のころで、祇園《ぎおん》嵐山《あらしやま》の桜は盛《さか》りであった。
「行違ふ舞子の顔やおぼろ月」という紅葉山人《こうようさんじん》の句を引いて、新京極《しんきょうごく》から三条の橋の上の夜のにぎわいをおもしろく語った。その時は和尚さんもうかれ心になって雪駄《せった》を買って、チャラチャラ音をさせて、明るいにぎやかな春の町を歩いたという。奈良では大仏、若草山、世界にめずらしいブロンズの仏像、二千年昔の寺院などいうのをくまなく見た。清三の孤独なさびしい心はこれを聞いて、まだ見ぬところまだ見ぬ山水《さんすい》まだ見ぬ風俗にあくがれざるを得なかった。「一生のうち一度は行ってみたい」こう思ってかれは自己のおぼつかない前途を見た。
 年の暮れはしだいに近寄って来た。行田の母からは、今年の暮れはあっちこっちの借銭《しゃくせん》が多いから、どうか今から心がけて、金をむやみに使ってくれぬようにと言ってよこした。蒲団が薄いので、蝦《えび》のようにかがめて寝る足は終夜《しゅうや》暖まらない。宅《うち》に言ってやったところでだめなのは知れているし、でき合いを買う余裕もないので、どうかして今年の冬はこれで間に合わせるつもりで、足のほうに着物や羽織や袴《はかま》をかけたが、日ごとにつのる夜寒《よさむ》をしのぐことができなかった。やむなくかれは米ずしから四布蒲団《よのぶとん》を一枚借りることにした。その日の日記に、かれは「今夜よりやうやく暖かに寝ることを得」と書いた。
 行田から羽生に通う路は、吹きさらしの平野のならい、顔も向けられないほど西風が激しく吹きすさんだ。日曜日の日の暮れぐれに行田から帰って来ると、秩父の連山の上に富士が淡墨色《うすずみいろ》にはっきりと出ていて、夕日が寒く平野に照っていた。途中で日がまったく暮れて、さびしい田圃道《たんぼみち》を一人てくてくと歩いて
前へ 次へ
全175ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング