は清三に言った。
収穫《とりいれ》がすむと、町も村もなんとなくにぎやかに豊かになった。料理屋に三味線の音が夜更けまで聞こえ、市日《いちび》には呉服屋唐物屋の店に赤い蹴出《けだ》しの娘をつれた百姓なども見えた。学校の宿直室に先生のとまっているのを知って、あんころ餅を重箱にいっぱい持って来てくれるのもあれば、鶏《にわとり》を一羽料理して持って来てくれるものもある。寺では夷講《えびすこう》に新蕎麦をかみさんが手ずから打って、酒を一本つけてくれた。
木枯の吹き荒れた夜の朝は、楢《なら》や栗の葉が本堂の前のそこここに吹きためられている。銀杏《いちょう》の葉はすっかり落ちつくして、鐘楼《しょうろう》の影がなんとなくさびしく見える。十一月の末には手水鉢《ちょうずばち》に薄氷が張った。
行田の友だちも少なからず変わったのを清三はこのごろ発見した。石川は雑誌をやめてから、文学にだんだん遠ざかって、訪問しても病気で会われないこともある。噂《うわさ》では近ごろは料理屋に行って、女を相手に酒を飲むという。この前の土曜日に、清三は郁治と石川と沢田とに誘われて、このごろ興行している東京の役者の出る芝居に行ったが、友の調子もいちじるしくさばけて、春あたりはあえて言わなかった戯談《じょうだん》などをも人の前で平気で言うようになった。郁治の調子もなんとなくくだけて見えた。清三ははしゃぐ友だちの群れの中で、さびしい心で黙って舞台を見守った。
二幕目が終わると、
「僕は帰るよ」
こう言ってかれは立ち上った。
「帰る?」
みんなは驚いて清三の顔を見た。戯談《じょうだん》かと思ったが、その顔には笑いの影は認められなかった。
「どうかしたのか」
郁治はこうたずねた。
「うむ、少し気分が悪いから」
友だちはそこそこに帰って行く清三の後ろ姿を怪訝《けげん》そうに見送った。後ろで石川の笑う声がした。清三は不愉快な気がした。戸外《おもて》に出るとほっとした。
それでも郁治とは往来したが、もう以前のようではなかった。
一夜《あるよ》、清三は石川に手紙を書いた。初めはまじめに書いてみたが、あまり余裕《よゆう》がないのを自分で感じて、わざと律語《りつご》に書き直してみた。
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意気を血を、叫ぶ声先づ消えて、
さてはまた、野に霜|結《むす》んで枯るるごと、
卿等《けいら》の声はまた立た
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