》に出る。青縞《あおじま》を織る機《はた》の音がそこにもここにも聞こえる。色の白い若い先生をわざわざ窓から首を出して見る機織女《はたおりおんな》もある。清三は袴を着けて麦稈《むぎわら》帽子をかぶって先に立つと、関さんは例の詰襟の汚れた白い夏服を着て生徒に交って歩いた。女教師もその後ろからハンケチで汗を拭き拭きついてきた。秋はなかば過ぎてもまだ暑かった。発戸の村はずれの八幡宮に来ると、生徒はばらばらとかけ出してその裏の土手にはせのぼった。先に登ったものは、手をあげて高く叫んだ。ぞろぞろとついて登って行って手をあげているさまが、秋の晴れた日の空気をとおしてまばらな松の間から見えた。その松原からは利根川の広い流れが絵をひろげたように美しく見渡された。
 弥勒《みろく》の先生たちはよく生徒を運動にここへつれて来た。生徒が砂地の上で相撲《すもう》をとったり、叢《くさむら》の中で阜斯《ばった》を追ったり、汀《みぎわ》へ行って浅瀬でぼちゃぼちゃしたりしている間を、先生たちは涼しい松原の陰で、気のおけない話をしたり、新刊の雑誌を読んだり、仰向《あおむ》けに草原の中に寝ころんだりした。平凡なる利根川の長い土手、その中でここ十町ばかりの間は、松原があって景色が眼覚めるばかり美しかった。ひょろ松もあれば小松もある。松の下は海辺にでも見るようなきれいな砂で、ところどころ小高い丘と丘との間には、青い草を下草《したぐさ》にした絵のような松の影があった。夏はそこに色のこいなでしこが咲いた。白い帆がそのすぐ前を通って行った。
 清三はここへ来ると、いつも生徒を相手にして遊んだ。鬼事《おにごと》の群れに交って、女の生徒につかまえられて、前掛けで眼かくしをさせられることもある。また生徒を集めていっしょになって唱歌をうたうことなどもあった。こうしている間はかれには不平も不安もなかった。自己の不運を嘆くという心も起こらなかった。無邪気な子供と同じ心になって遊ぶのがつねである。しかし今日はどうしてかそうした快活な心になれなかった。無邪気に遊び回る子供を見ても心が沈んだ。こうして幼い生徒にはかなき慰藉《いしゃ》を求めている自分が情けない。かれは松の陰に腰をかけてようようとして流れ去る大河《たいか》に眺めいった。
 一日《あるひ》、学校の帰りを一人さびしく歩いた。空は晴れて、夕暮れの空気の影《かげ》濃《こまや》
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