たり風が吹いたりした。雨の降る日には本堂の四面の新緑がことにあざやかに見えて、庫裡《くり》の高い屋根にかけたトタンの樋《とい》からビショビショ雨滴《あまだ》れの落ちるのを見た。風の吹く日には、裏の林がざわざわ鳴って、なんだか海近くにでも住んでいるように思われた。弁当は朝に晩に、馬車継立所《ばしゃつぎたてしょ》のそばの米ずしという小さな飲食店から赤いメリンスの帯をしめた十三四の娘が運んで来た。行田の家からもやがて夜具や机や書箱《ほんばこ》などをとどけてよこした。
かれは寺から町の大通《おおどお》りに真直《まっすぐ》に出て、うどんひもかわと障子に書いた汚ない飲食店の角《かど》を裏通りにはいって、細い煙筒《えんとつ》に白い薄い煙のあがる碓氷社《うすいしゃ》分工場《ぶんこうじょう》の養蚕所《ようさんじょ》や、怪しげな軒燈《がすとう》の出ている料理屋の前などを通って、それから用水の橋のたもとへといつも出る。時には大越《おおごえ》に通う馬車がおりよくそこにいて、安くまけて乗せてもらって行くことなどもあった。
五六日して主僧は東京から帰って来た。葬儀の模様は新聞で見て知っていたが、くわしく聞いて、さらにあざやかにそのさまを眼《め》の前《まえ》に見るような気がした。文壇の大家小家はことごとく雨をついてその葬式について行ったという。雨がザンザン降って、新緑の中に造花生花のさまざまの色彩がさながら絵のような対照《コントラスト》をなしたという。ことに、寺の本堂が狭かったので、中にはいれなかった人々は、蛇《じゃ》の目《め》傘《がさ》や絹張りの蝙蝠傘《こうもりがさ》を雨滴《あまだ》れのビショビショ落ちる庇《ひさし》のところにさしかけて立っていた。読経《どきょう》は長かった。それがすむと形のごとき焼香があって、やがて棺は裏の墓地へと運ばれる。墓地への路には新しい筵《むしろ》が敷きつめられて、そこを白無垢《しろむく》や羽織袴が雨にぬれて往《い》ったり来たりする。小説の某大家は柱によって、悲しそうな顔をしている。生前最も親しかった某画家は羽織を雨にめちゃめちゃにして、あっちこっちと周旋《しゅうせん》して歩いている。「君、実際、感に打たれましたよ。苦労をしぬいて、ようやく得意の境遇になって、これから多少志もとげようという時に当たって何が来たかと思うと、死!」こう若い和尚《おしょう》さんは話した。
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