知れない。入って行くのを膠もなく拒むかも知れない………。かう思つて見てゐると、童姿の供はそこにぼんやりとその輪郭を薄暮の空氣の中に色濃く見せてゐるけれども、その男の方の姿は、いつかすひ込まれるやうにその内に消えてなくなつて了つてゐる。否、その少し前にその入口のところに女君が出て來たやうである。此方がさう思つてゐるためにさう見えたのかも知れないけれども、たしかにそこにその輪郭が見えたやうな氣がする。しかも耳を聳てゝきいてゐても、別に今入つて行つた男を拒むやうな氣勢も何もきこえて來ない。もし何か女君が聲を立てるやうなことがあつたら、すぐ入つて行かうと身構えしてゐても、さうした氣勢は少しもきこえて來ない……。爲方なしに、呉葉もじつとしてそこに蹲踞んでゐた。
始めはむしろそれを拒んでゐた歌の贈答がいつの間にかさうでなくなつてゐたのであるのがそれとはつきり呉葉の胸に響いて來た。あたりはしんとしてゐる。竹に當る風すらもない。何處かで下司の醉つて罵つてゐる聲がきこえてゐるが、それが大通であるかそれとも此方の家の内であるかはつきりとわからない。崩れた築土を越して向うに明るく闇に見えてゐる窓がある。次
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