第に夜になれば夜になつたで、星あかりのやうなものが微かにも地上に及んでゐると見えて、さつき見た時よりも、童姿の供のそこに待つてゐる輪郭がそれとはつきりするやうになつた。
 突然、呉葉の前に立つた一つの黒い影があつた。
『誰ぢや?』
 その聲でそれは窕子の兄の攝津介であることがわかつた。
『…………』
『お、呉葉か……。それにしても、このやうなところに何をしてをる?』
 手でその高い聲を押へるやうにして、
『殿が……』
『何と……?』呉葉の指さす方向に眼を移しながら、『殿が……あの堀川の殿が……。それはまことか……いつ? もうさつきにか? 今か?』その聲は壓し潰されたやうに低くなつた。
 攝津介も默つてじつと立つてゐたが、
『別に窕子はそなたを呼びはせざつたか?』
『別に……』
『それなら、それで好い……。こんなところに立つて居なくとも好い。こつちに來やれ。目出たいことを母者に知らせて喜ばねばならぬ……』
 攝津介はそのまゝかの女を伴うて向こうに行つて了しまつたので、呉葉はその後のことを知らなかつた。それから一時ほどして呉葉が入つていつた時には、窕子はいつものやうに几帳のかげにその身を置
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