いたままで、あたりには誰もゐず、結燈臺の灯が微かに隙間洩る夜風に瞬いてゐるばかりだつた。呉葉は見ぬようにしてじつと窕子を見詰めた。窕子も眼を下に落としたまゝで深い深い物思ひに沈んでゐた。暫くそのまゝで經つた。
 最初に窕子は言つた。
『何處に行つていたの? お前……?』
 しかもその聲は微かで、眼は同じところを見たまゝであつた。
『向こうに居りました……』
『………』窕子は何か言はうとしたが、何う言つて好いかわからないといふやうに默つて了つた。
『何か御用でしたか?』
『別に……』
 かう言つたが、急に、『この身は困つた――』
 しかしその表情はそれほど困つたとも見えはしなかつた。
『何うかなさいましたか?』
『…………』
『え?』
『今、思ひもかけぬ客人があって……』
『客人が?』
 呉葉はわざとしらばくれるようにして言つた。
『困つた、此身は?』
『客人はどなたで御座いましたか?』
『そなたの好きな堀川どの……』
『え!』
 呉葉はわざと驚いたやうに見せかけて聲を立てた。
 窕子が物思ひに沈んでゐたのは、悲しい心に屬するものではないといふことが次第に呉葉にも飮み込めて來た。同じ性の
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