泣かれたり口説かれたりすることは男に取つて餘り好いことではなかつた。窕子の怨みや嫉妬を買はない程度でかれは他の女とも遊んで見たいのであつた。
 それから二三日經つたある夜のこと、呉葉は外から入つて來て、窕子の几帳のところに坐つた。
『何うした?』
『やつぱりさうださうでございます。留がそつとついて行つて何處に殿の車は入るかと思つてゐると、坊の小路の家に入つて行つたさうでございます』
『思つた通りだね』
『何うして殿はあゝいふ風に水心でゐられることか!』
『その坊の小路の女なら、そちは見たことがあるといふたね?』
『え、ちよつと……』
『何んな女子?』
『ちつとも好いことなんかございませんのです。色は白うございますけれど、容色は好いといふ方ではございません、……にくいではございませんか、留がそつと見てゐると、その女子が平氣で殿の車のところに出て來て、何か言つて居つたさうでございます……』
 しかしいくら憂鬱に閉されてゐても、窕子は何うすることも出來なかつた。それに、兼家が久しく見えないこともかの女には氣になつた。思詰めると、このまゝ此身は秋の扇と捨てられて了ふのではないかといふやうにすら
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