地のわるい仲の姉は越の國の司のもとに嫁して、かへる山を經て遠く有磯海の方へとつれられて行つてゐた。

         二

 窕子は半ば笑を含むやうに言つた。
『呉葉までそんなことを言ふの?』
『でも、さう言はずにはゐられませんもの……。行く末は一の人になるべき人がこの御歌! お父さまだつて、お母さまだつて、お兄さまだつて、お喜びにならないものは一人だつてないのですもの……誰だつて目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]らないものはないのですもの……』
『…………』
『お返しあそばせ――』
『…………』
 窕子は几帳の蔭に身を寄せて、じつとしたまゝ默つてゐた。何とも言へず美しく神々しく見えた。いつもの窕子――その身が長い間一緒に住んで來た窕子とは何うしても思へない姿がそこにあつた。一ところをじつと見詰めたまゝ目じろぎもせずに窕子は深く考へ込んでゐた。
『本當に……』
『もう少し待つて……』
『でも使のものが待つてをりまするほどに――』
『かへしなどはとても――』
『出來ぬとおつしやいますのですか。行末は一の人となるべき人で御座るのに……』
『呉葉――』
『お母さまも喜びの涙にひ
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