! またこの本尊の尊さは! 實際窕子には昔の佛の力が今にもまざまざと存在して、その功徳をはつきりとそこにひろげてゐるかのやうに見えた。かの女はとてもそなたには行かれまいといふのを強ゐて頼んでやつて來たことを繰返した。丁度その時、殿との間に深い爭ひが起つてゐて――それもいつものとは違つて、窕子が昔親しくした大學のひとりの書生の許から手紙がやつて來て、むかしの心に火がつくまでには到らなかつたけれども此方からかへしの歌などを贈つたことを殿に知られて、『何故それがわるいのです……。何も事があつたのではない。その歌をかへしたのがわるいと言はるゝが、何故それがわるいのです……。男は何のやうなことをしても好く、女子はそれほどのことをしてもわるいと言はるゝのか?』などと言ひ合つたばかりではなく、父親に遠く別れた悲しさが添つたりして、それで暫しはこの苦しさやら悲しみやら悶えやらを忘れたいと思つてそして無理に母親について來たことをくり返した。それでも殿のことが忘れられるのではなかつた。途中では心強くかうして家を明けて出て來たことを悔ゐたりなどしたことをくり返した。
 僧はまた一齊に法衣の袖をひるがへして禮
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