げた。
そこにはかういふ歌が書いてあつた。
[#ここから3字下げ]
君をのみ
頼む旅なる心には
行く末遠く
おもほゆるかな
[#ここで字下げ終わり]
それはかの女へではなくて、堀川の殿へ寄せたものであるといふことが一目見ただけですぐわかつた。『殿ばかりが頼りだ。我儘な娘ですけども、何うか捨てずに行く末長く眼をかけてやつて下さい』たのみ甲斐もないやうな堀川の殿を頼んで、その可愛い娘をその手に托して、何うか無事であれ幸福であれと祈つてわかれ難い別れをわかれて、ひとり遠く旅立つて行つた父親の心が歴々とそこに指さゝれた。窕子はまた泣かずにはゐられなかつた。
その時誰か來た氣勢がしたと思ふと、妻戸がそつと明いて、狩衣姿の堀川の殿の莞爾した顏がひよつくりそこにあらはれた。
『もう立たれたさうぢやな……』
入つて來て、そこに呉葉の侍してゐるのを目にして、
『もう少し早う來て、見送りしたいと思うたが、つい殿上まで行かねばならぬ用事があつておくれた……』少し途切れて、『おゝさうか、呉葉は行つて來たか? 何處まで? 河原まで? それで無事に立たれたか』
『御無事で、御機嫌よく……』呉葉はかしこまつ
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