れから向うはずつと長い長い旅路が限なく續いて行つてゐるのだつた。國の司の行列の群。馬の鞍。下衆の持つた雨具や炊事具。名高い寺や社のあるところは其處にやどりを求めて屋根の下に眠ることが出來たけれども、さびしいところに行暮れては、それこそ草の露を結ばねばならぬ長い長い旅。その支度も出來て、いよいよ別れをつげるべき時が來た。いざとなれば、さすがにわかれかねて、雄々しい家の殿の心もともすれば涙に浸されずにはゐられないのであつた。
窕子の眼の縁は赤く赤くなつてゐた。
『では!』
『御機嫌よく』
かう別れをつげた後でも猶ほかれ等は別れかねた。
『お父さん!』
『窕子!』
かれ等はまたもどつて來ては互ひに涙を流した。
最後に、父親は硯を持つて來させて、みちのく紙にすらすらとわかれの歌を書いて、そしてそれをそこに置いたまゝ、今度こそは思ひ切つたといふやうにして後をも見ずにすたすたと對屋の階段を下りて行つた。
窕子はひたと打伏したまゝ暫くは身を起さうとはしなかつた。
呉葉はその時其處にはゐなかつた。家の殿の旅立を見送るために――内に住んでゐる人達はその取亂したさまを他に見られることをきらつて
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