つてはまた欷歔げた。
 呉葉にはそれとはつきりとはわからなかつたけれども、今日になつて考へて見れば、巣立の雛鳥が始めてつめたい世の空氣に觸れるための悲哀がそこに渦を卷いてゐたのであつた。親の手から背の君へ! その背の君もその身ひとりが縋ることの出來る人ならば、その悲しみもいくらかは慰めることが出來たであらうが、否、幸福に運好く生れ附いた女子ならば、誰でもそのひとりに寄り附き縋りついて、眼と眼とが相合ふやうに、手と手とが相觸れるやうに心と心とがぴたりとひとつになつて、むしろ古巣の親達の情は忘れ果つるほどであるのが慣ひであるのに、さうした幸福はとても望むことの出來ないその身のはかなさ! 縋り附きたいにもその身ひとりで縋り附くことの出來ない悲しさ! これも生中に人並にすぐれて生れついた身の悲しさではないか。『何うしてこの身は堀川の殿などに見出されたか?』またしても窕子はそれを言出すのであつた。
 家の殿の立つて行かるゝ日――それは昨夜の雨が晴れて、北山も愛宕も大比叡もくつきりと寒い晩秋の空に貼されたやうに見える朝だつた。三條からずつと河原を通つて東山の麓を越して向うへ。逢坂の山。志賀の海。そ
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