子は既にたゞならぬ身になつてゐたのである。
五
呉葉にはまだこゝに移つて來ない以前、家の殿が陸奧守に昇進して遠くへ旅立たなければならなくなつた時のさまがありありと眼に映つて見えた。泣いた窕子の顏がそこにある。この身も父君と共に陸奧に下らう。女の身とて行けぬことはよもあるまい。かうして玩弄ものになってゐるよりは、暫しなりとも都を離れて新しい生活に入る方が何のくらゐ好いかしれない。さうすればあの堀川の殿の心もこの身を離れて他の女子のもとに行くであらう。窕子はさうとはつきり言ひはしなかつたけれども、唯一の頼みとするその父君に別れることの悲しさ心細さに心が亂れ、またその行末の身のほどなども深く案じられて、それで一層さうした心になつたのであつた。それに、歌まくらに聞いた白河の關や安達の鬼塚や武隈の松などをも窕子は見たいと思つたのである。それは神無月の時雨が降る頃で、まだ向うの西の對にゐて、その窕子の居るところからは、裏の垣に烏瓜の赤いのなどが見えたり、彩ある小鳥の翅が樹の枝がくれに飛んだり下りたりするのがそれと指さゝれたりするほどだつたが、その窕子の願ひを押しとどめるため
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