なつて了つてゐるものぢやで……。夢のやうぢやと言つたがほんにさうぢや』
『それでも、その男のことを忘れてはをらぬらしい。やつぱり佛の御名の間々にはその男のことを思ひ出してゐるやうでござつた……。戀とは不思議なものだといふ氣がした……』
『ほんに、浦島ぢやのう』窕子も深く感ずるやうに言つた。それから比べると、自分の戀などはまだやつとその戸口に入りかけたもののやうに思へた。殿は本當は此身より他にないやうなことを言ふのであるけれど、それが何處まで信じて好いかわからないやうな氣がした。
窕子だちは坊に歸つてから猶ほ十日ほどゐたが、盂蘭盆が近づいて來たので、一度京の家の方へと戻つて來ることにした。山から出て來る小川の岸には、さゝやかなみぞ萩などが水にぬれて咲いてゐるのを目にした。標野に來ると、今まで籠つてゐた山の峽に雲が白く徐かに靡いてゐるのがそれと振返へられた。
三七
それから二年經つた。その間にはいろいろなことがあつた。その中でも窕子に取つて印象の深かつたことは、父親が陸奧から歸つて來たことだつた。父親は八年の間にいたくも老いた。話をするにもわくわくするやうな表情を
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