とが段々わかつて來た……。この心は何うなるのだらう。何う埋められるのだらう?』急にたまらなくなつたといふやうに窕子は衣の袖を顏に當てた。
『わるう御座いました。笑うたりなどしてわるう御座いました……』慌てゝ呉葉は言つた。
 窕子の欷歔げる聲が夕暮の空氣の中に微かに雜り合つた。
『そなたがわるいのぢやない。そなたがわるいのぢやない……』暫くしてから、やつと思ひ返したといふやうに窕子は衣の袖を顏から離した。
 暫くした後では、それとは違つて、今度は公の宮の中のことが主從の間に話されてゐた。きさいの宮のことだの、藤壺の女御のことだの、好者の大納言のことだの、つゞいては目ざましきものにいつも引合に出される唐土の楊[#「楊」は底本では「揚」]貴妃の話などがつぎつぎに出て行つた。后でなくてもさうまで深く帝王の心をつかむことが出來る話などが出た時には、窕子は深く考へずにはゐられなかつた。北の方とか后の宮とか言つても、それにばかり男の愛があつまるものではなくて、何んなはした女との仲にも戀さへ芽ぐめば純な深いものとならない限りでないことがそれからそれへと考へられて來た。古今集の中にある深草に住んでゐる女
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