て、そこではじめて身を墨染に更へたのださうです。』
『まアねえ』
 さう言つた窕子の眼の前には、戀愛の世界がはつきりとそこに展げられて來るやうな氣がした。誰だつて皆な同じことだ。皆なさうなるのだ……。何んなにあつい心でも、また何んなに思ひ詰めた心でも皆なおしまひはさうなるのだ……。かの女の眼の前には、今でも美しい色彩やら戀のみだれ心やらで滿たされてゐる内裏の局の内部のことなどが歴々と浮んで見えた。
『よくそれでもねえ!』
 窕子は何方ともつかないやうなことを言つて、
『それでも昔の話などをなさることがございますか?』
『ちつとも……』
 若い尼は頭を強く振つて見て、『いつもあゝして經を誦してゐられるばかりです』
『それでも、東國の話などをなさるやうなことは?』
『この山の中がよう似てゐるなんて言ふには言ひますけれども……そんなことはもうあまり多く考へてはゐられないやうでございますね……』
『それでお里の方からは、たまには何方かがお見えになりますか?』
『ところが、そのお里方にも、もはやその時分の方はいらつしやいませず、ひとり殘つてゐらつした姉の姫宮――御存じでゐらつしやいませうが、兵部
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