寄せられて行くのをまざまざと見た。勿論それは張りも悶えも苦しみも何もなしに、わけなくそれに引寄せられて行つたのではなかつた。その中には細かい心の悶えや、その身の若さ美しさの日毎に喪はれて行くことに對する苦しみや、權勢といふものに理由なしに踏みにじられて行くのに堪へ難くなやむ心や、時にはその美しさといふことだけをその武器にしてさうした權勢に對抗しようとするほどの心の張を見せたことなどもないではなかつたが、しかも男にその身を任せた上は、もはや何うにもならずに、次第にさうした積極的な心持から離れて來るやうな形になつて行くのを誰も見遁すものはなかつた。窕子の父母の眼にもはつきりとそれが映つた。同胞達も次第に堀川の邸にその身を近づけて行くことの出來るのを喜ぶやうな形になつて行つた。
 西の對屋が手狹だといふので、堀川の裏のさゝやかな流れに臨んだ世離れた閑靜な邸――それも通りからもさう大して離れてゐない邸に、その年の師走近く、寒い風が北山から雪を齎して來る頃に移轉して行つが、その頃には、窕子の心も全く崩折れて、父母のためまたは同胞のため、といふばかりではなしに、男の心にその身を、その心を大方任せる
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