…。でも、なう、男子は強うならねばならぬ。そのやうに弱う泣いては何うにもなりませぬ。もう大丈夫! もう治つた!』かう言つて若い母親の悲しい口づけのあるあとを呉葉は經く撫でゝやつた。
それで道綱の泣聲は漸くとまつた。
秋はそんなことをして暮してゐる中にもいつか長けて、西山のもみぢも過ぎ、鳴瀧の奧の御寺の御講も濟んで、やがては北山の奧の峰に雪が白く見えるやうになつた。
さびしい寒い冬は來た。窕子は日ましに兼家との仲が遠くなつて行くのを悲しまずにはゐられなかつた。それはたまさかにはたよりがあり、歌があり、曾ては、十日ばかりも來ずに、だしぬけに几帳の柱にかけて置きわすれて行つた小弓の矢を使の者して取りに寄こしたので、『思ひ出づる時もあらじと思へどもやといふにこそおどろかれぬれ』などとわる洒落を言つてやつたりなどしたことかあつたが、次第にさうして馴々しい心持なども稀れになつて、その歌のおとづれすらも次第に間遠になつて行くのだつた。
ある夜は道綱をかたく抱きしめて、『何うなすつたのでせうね、そちのお父さまは……。網代の氷魚にでもきいて見たらわかるだらうかね。何うして此頃はちつともそちのところに來ないだらうかツて………』かう言つて窕子はまたしたゝかに涙を流した。
一六
ひとつの噂が傳つて來た。
何でもその話では、去年あたりから堀川の殿に新しい寵が出來て、それが河原に近いところに對屋を造へて圍はれてあつたが、その人にも今度はめでたい話があつたといふのであつた。噂としては別にさう大したことでもなかつた。その女の圍はれてあることは、たうから知つてゐた。その女にいつかさういふ話のあるのは當然のことであつて、別にめづらしいことではなかつた。しかし世間では窕子の時にも目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]るやうにしてその噂をして、中にはそれをあさましいと言つてわるい方に言つたものもあるにはあつたが、大抵は大臣になる人の寵になつたのを果報に羨ましく思つたものが多かつたので、忽ちにして秋の扇と捨てられた形を世間でも由々しいものにして噂は噂を生むのであつた。その世間といふものが窕子にも強く強く感じられた。
『本當でござるか』
『さやうか』
『男心といふものはそのやうなものかのう? あれほど心を籠められてゐても、いざとなると、さうなるものかのう』
さうした
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