かの女はヒステリカルになつてゐた。呉葉などがやつて來てやつとなだめて身を起した時には、眼は赤く腫れ、髮は夥たゞしく亂れ、惱ましげな姿が一層男に愛着の念を誘つた。『お中の子が私に似て泣虫なのかも知れませんね』こんなことを言つて窕子は莞爾笑つて見せた。
一〇
梅雨が幾日か續いたあとには、くわつと夏の日が照つて紫陽花がその驕女らしい姿をそのあたりにはつきりと見せた。
もとの右大臣の御靈がゆくりなく京のひとりの少女子に憑いて、紫野の向うの北野の小松原の中に住みたいといふ託宣があつたので、それが大宮の奧をも動かして、その年の秋に取敢へず小さやかな宮をそこにつくることになつたが、今年は始めて天滿天神といふ謚號が贈られ、社も宏壯に改築されて、皆人がぞろぞろとそこにお詣りに出かけた。窕子は是非そこにお詣りしたいと思つたけれども、もはやお中が大きくなつて、とても牛車では行かれぬので、たゞその賑ひの氣勢のみを他から聞くことに滿足しなければならなかつた。そこに、窕子の代りにお詣りに出かけて行つた呉葉はもどつて來て、『それは賑かでございました。野道が一杯人で埋まつて、御社のあたりには、餘ほど何うかしないと近寄れないくらゐでした。それに、今日源民の判官が家の子郎黨をあつめて參詣に來て居りましたので、鎧兜が見事で、キラキラと日に光つて、それは本當に見物でした』などと話した。
それに窕子に取つて嬉しかつたのは、遠くに行つた父の許から安着の報知の來たことだつた。その中には白河の關や安達の鬼塚のことが書いてあつて、とても女子の身では來たいにも來られぬところだなどと書いてあつた。
八月になると、さしもに凌ぎがたかつた炎暑も次第に凉しくなつて、愛宕から北山にかけて秋の白き雲が靡き、垣根には虫の聲がすだくばかりにきこえた。中秋近い頃には、大内裏で歌會や詩會があつたりして、兼家は忙しさうにあちこちと出かけたが、それでも大抵はちつとでも來てかの女を見舞ふことを例にしてゐた。
ある夜兼家が行くと、呉葉は飛んで出て來て、
『あ、ちやうどいらしつた。今、お使ひをさし上げようと致してをりましたところでございます……』
『物したか?』
『すこやかな、美しい、それはそれは玉のやうな……』
『男子か?』
『さやうで御座ります』
『それは好かつた……何うかと思うて案じてゐた……。母君は?』
『
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