つてはまた欷歔げた。
呉葉にはそれとはつきりとはわからなかつたけれども、今日になつて考へて見れば、巣立の雛鳥が始めてつめたい世の空氣に觸れるための悲哀がそこに渦を卷いてゐたのであつた。親の手から背の君へ! その背の君もその身ひとりが縋ることの出來る人ならば、その悲しみもいくらかは慰めることが出來たであらうが、否、幸福に運好く生れ附いた女子ならば、誰でもそのひとりに寄り附き縋りついて、眼と眼とが相合ふやうに、手と手とが相觸れるやうに心と心とがぴたりとひとつになつて、むしろ古巣の親達の情は忘れ果つるほどであるのが慣ひであるのに、さうした幸福はとても望むことの出來ないその身のはかなさ! 縋り附きたいにもその身ひとりで縋り附くことの出來ない悲しさ! これも生中に人並にすぐれて生れついた身の悲しさではないか。『何うしてこの身は堀川の殿などに見出されたか?』またしても窕子はそれを言出すのであつた。
家の殿の立つて行かるゝ日――それは昨夜の雨が晴れて、北山も愛宕も大比叡もくつきりと寒い晩秋の空に貼されたやうに見える朝だつた。三條からずつと河原を通つて東山の麓を越して向うへ。逢坂の山。志賀の海。それから向うはずつと長い長い旅路が限なく續いて行つてゐるのだつた。國の司の行列の群。馬の鞍。下衆の持つた雨具や炊事具。名高い寺や社のあるところは其處にやどりを求めて屋根の下に眠ることが出來たけれども、さびしいところに行暮れては、それこそ草の露を結ばねばならぬ長い長い旅。その支度も出來て、いよいよ別れをつげるべき時が來た。いざとなれば、さすがにわかれかねて、雄々しい家の殿の心もともすれば涙に浸されずにはゐられないのであつた。
窕子の眼の縁は赤く赤くなつてゐた。
『では!』
『御機嫌よく』
かう別れをつげた後でも猶ほかれ等は別れかねた。
『お父さん!』
『窕子!』
かれ等はまたもどつて來ては互ひに涙を流した。
最後に、父親は硯を持つて來させて、みちのく紙にすらすらとわかれの歌を書いて、そしてそれをそこに置いたまゝ、今度こそは思ひ切つたといふやうにして後をも見ずにすたすたと對屋の階段を下りて行つた。
窕子はひたと打伏したまゝ暫くは身を起さうとはしなかつた。
呉葉はその時其處にはゐなかつた。家の殿の旅立を見送るために――内に住んでゐる人達はその取亂したさまを他に見られることをきらつて
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