てはめた。泣いても泣いても盡きずに涙が出て來た。
後には窕子は慰めるのに言葉がなくなつた。
暫くの間、沈默があたりを領した。
そこに常葉が高つきに羊羮を入れて運んで來た。
『他の人なら、とてもこんな眞似は出來ないのなれど、御身ゆえ、何も彼もさらけ出して、このやうに泣いて了うた……。他の人が見たら、何うかしたと思ふに違ひない……』登子はさびしく笑つた。
『まア、あまりに心をつかひあそばすな。御心配の時には、いつにてもすぐ參上致しますほどに――』
『さぞ見にくかつたでせうね……』登子は繰返して言つた。
『そんなこと何とも思ひも致しません。誰れだつてさういふ場合には泣かずにはゐられませんもの……』
『さういふて呉れるのはあなたばかりですからね……。本當に力になつて呉れるものなんかないのですから……』
登子は實際さびしいらしかつた。姉の中宮からもその時以來わるく嫉妬の眼で見られるやうになつたばかりでなく、いろいろな方面からいろいろな壓迫を強く受けた。御門はまた御門で、式部卿の宮が薨去せられてから、一度も登子の姿を見ないので、もしや何か事があつたのではないかと頻りに内意を九條の家へと傳へた。
母や兄やまたはその周圍にゐる人達は表面では困つたことが出來たやうにも言つてゐるが、内心では小一條の女御に對する御門の愛が、中宮には戻つて行かなくても、この末の君に移つて行つたことを寧ろ祝福するやうな態度でゐるのであつた。それを登子は徐かにしみじみと窕子に話した。
雨は降り頻つた。軒から落ちるあまだれがすさまじくあたりにきこえて、サツと風が物凄く樹を鳴らした。何か物の怪でも來はしないかと思はれるやうな氣勢があたりにした。
結燈臺の灯はチラチラした。
二人は思はず顏を見合せて戸外にざわついてゐる物音を聞いた。
暫く經つた。二人は何も言はなかつた。
登子が始めて口を開いたのは、猶ほそれから暫く經つてからであつた。
『あまりに泣いたので、宮の御魂が來られた!』
『…………』
『たしかにさうだ……。たしかに宮の足音がきこえた――』
『………』
また二人は默つて耳を欹てた。サツと風雨がまた庭の樹を鳴らした。それと同時に、微かに人の忍び寄つて來るやうな氣勢がした。それは窕子にもわかつた。普通ならば、さうした風や雨や樹木の葉ずれや竹の葉のなびきに埋められて、とてもきこえる筈はない物
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