時に母者にとめられた――』
『まア……』
窕子も流石に驚かずにはゐられなかつた。
『でも、死きれぬ身、何うしても死きれぬ身……それが、窕子どの、この身のつたない運命なのだから……。何うすることも出來ない身だから……』つまり御門でなければどうにでもなるが、さういふさだめの身になつた上は、いくら考へて見たところで、またいくらもだえて見たところで徒勞だといふのだつた。否、姉の中宮に對する心づかひなども細かくその中に籠められてあるのだつた。やはり窕子が兼家のために無理に其方に伴れて行つたのと同じことだつた。
『女子といふものは、さだめつたなく生れたものなればのう――』
『ほんに――』
窕子も身につまされずにはゐられなかつた。
『女子といふものは、何のやうに思ひ込んだところで、何うにもならぬし、いくら望ましくないと言つても、それが通るわけでなし――』
それは窕子と兼家との關係とは比すべくもないけれども、それでもまゝにならないといふ心持は似てゐるので、窕子には登子の心持がよくわかつた。後には窕子は登子を透してひろい人生に對するやうな氣がした。
登子は式部卿の宮の歌やら詩やらを出して見せた。一番最後によこしたといふ手紙などを蒔繪の文箱の底から出して見せた。詩は當時にあつても名高い作者だつたので、墨色といひ、字のくばり方と言ひ、また詩の出來榮といひ、何ひとつそつがなかつた。歌も行成流の假名が見事だつた。
手紙には別に大したことも書いてなかつた。逢ふつもりでゐた日に止むを得ない用事か出來て、その美しい眉に接することが出來ないのは悲しい。しかし悲しいことの多いのは――思ひのまゝにならないことの多いのは、この世の中の習ひだ。何もくやむことはない。心長く時の來るのを待つより他爲方がない……。さういふ意味のことがたゞ短かく書いてあるのだつた。しかし登子には、その思ひのまゝにならないといふことがたまらなく悲しかつた。宮はその生れこそ一の人の家柄ではなかつたけれども、御門とはすぐその上の兄君に當つてゐられたのであつた。母方の一族さへ時めいてゐたならば、御門よりも先きに位に即くべき資格を持つてゐられたのだつた。それに、宮は先帝に可愛がられたので、一時は今の御門の母方の人達が、何のぐらゐ眉を蹙めたかしれないのだつた。登子はその思ひのまゝにならないといふ言業の中にさうした事實を持つて行つてあ
前へ
次へ
全107ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング