。
さみだれが降り頻つた。容易に止みさうにもなかつた。卯の花の白く籬に咲いてゐるのがそれと夕暮近い空氣の中にくつきりと出てゐた。わざと他に知れないやうに、裏道になつてゐる草の露の中をかれ等はそつと拾ふやうにしてたどつた。古い藺笠。小さな裏。ともすれば女沓が泥濘の中に埋れさうになるのを辛うじて縫ふやうにして二つの姿は半ば潰れた門の方へと入つて行つた。
門に入つてからも、かれ等は足場のわるいのに苦しまずにはゐられなかつた。そこにはつい此間まで庭の一部分であつた池があつて、藻だの萍だの芦だのに雨が頻に降りかゝつてゐるのを見た。あたりはひつそりしてるた。成ほどこゝいらはちよつと他にはわかりさうにも思はれなかつた。茂つたまゝ延びたまゝに樹が一面にあたりを暗くしてゐた。
池の周圍をぐるりと廻つて、やつとその對屋の階段のところへ行つて、そこにそのかぶつて來たぬれた藺笠を脱いだ。かれ等はあたりを見廻した。
誰も出て來るものもなかつた。それも理だつた。今時分、降りしきる雨を侵してこんなところにやつて來るものがあるなどとは誰も思ひもかけないことだつた。かれ等は爲方なしに、そつとその階段をのぽつて行つた。夕暮はいつか夜にならうとしてゐた。
『お前、そつと入つて行つて、きいて見て御覽……』
窕子は小聲で言つた。
呉葉は入つて行つた。廊下の小さな欄干に添つてその影はすぐ向うに消えた。
窕子はひとりじつと立盡した。雨がかなり強く音を立てゝ降つてゐる。さつきまで見えてるた卯の花の白さも、もはや夜の空氣の中にぼんやりと微かになつて了つた。窕子は何とも言へないさびしさと悲しさと心細さとに襲はれて、戀といふものの闇が、そこに恐ろしく悲しくひろげられて來たやうな氣がした。
雨の縱縞がその闇の中に微に線を引いてゐるのが覗かれた。
靜かな足音がした。呉葉がもどつて來た。
小聲で言つた。
『びつくりしてゐらつしやいました……』
『さうだらうね?』
『別におかわりにもなつてゐないやうでございます――』
『それで――』
そこに登子のおつきの常葉といふ中年の侍女が出て來た。
『何うぞ――』
『よろしいのですか?』
で、三つの影は音も立てずに、周圍を取卷いた小欄干に添つて靜かに動いて行つた。
そつと妻戸を明けて入つて行くと、そこは周圍の廊下を几帳でしきつたやうなところで、小さな結燈臺が既に明
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