々つぶれて了《しま》つて、一番下等なのが唯一軒残つた。爺さんは此家の爺婆《ぢいばば》に昔から懇意であつた。一家族の人々は船から上《あが》つて、暗いランプのついた狭い汚い間で、兼ねて噂に聞いて居る生魚《なまうを》とむきみ汁とを食つた。
 兄の少年の眼には曾《かつ》て栄えたところとは何《ど》うしても見えなかつた。闇の田圃《たんぼ》の中に、五六軒|茅葺家《かやぶきや》があつて、其処《そこ》から灯が唯ちら/\見えた。
 此処《ここ》でも、船頭は矢張容易に船を出さなかつた。待ちかねて爺さんが其|所在《ありか》を尋ねに行つた。やがて『酒を飲んで酔ぱらつてゐやがる』かう言つて帰つて来た。
 船が出た頃には、遅く出た月がもう高くなつて居た。狭い掘割の両側には種々《しゆじゆ》な樹が繁つて、それが月の光を篩《こ》して、美しい閃《きらめ》きを水に投げた。夜《よ》はしんとして居た。ところ/″\にかゝつてゐる船の苫《とま》の中からは灯が見えた。犬の吠える声が四辺《あたり》に響いて高く聞えた。
 夏の夜《よ》は明易《あけやす》かつた。両側に人家が続いたり、橋が架《かか》つたりするあたりに来る頃には、もう全《まつた
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