やき》の眩々《てら/\》した長火鉢が据ゑられてあつて、鉄の五徳に南部の錆《さ》びた鉄瓶《てつびん》が二箇《ふたつ》懸《かゝ》つて、その後にしつかりした錠前《ぢやうまへ》の附いた総桐《そうぎり》の箪笥《たんす》がさも物々しく置かれてある。総じて室《へや》の一体の装飾《かざり》が、極《ご》く野暮な商人《あきうど》らしい好みで、その火鉢の前にはいつもでつぷりと肥つた、大きい頭の、痘痕面《あばたづら》の、大縞《おほしま》の褞袍《どてら》を着た五十ばかりの中老漢《ちゆうおやぢ》が趺坐《あぐら》をかいて坐つて居るので、それが又自分が訪《たづ》ねると、いつも笑ひながら丁寧に会釈《ゑしやく》を為《す》るのが常であつた。この主人公が即《すなは》ち二人の山の中から出身した昔の無頼漢《ぶらいかん》なるもので、二十年前には村の中にも其五尺の身を置く事が出来なかつたのであるが、人間の運といふものは解らぬ者で、二十九歳の時に夜逃を為《し》て、この東京に遣《や》つて来て、蕎麦屋の坦夫《かつぎ》、質屋の手伝、湯屋の三助とそれからそれへと辛抱して、今では兎《と》に角《かく》一軒の湯屋の主人と成り済《すま》して、財産の二三千も出来たといふ、まア感心すべき部類に入れても差支ない人間であつた。であるから自分の村の者と言へば、随分一肌抜いで、力にもなつて遣るので、その山の中から来た失意の人間は、多くはこれを便《たよ》つて来て、三助から段々湯屋の主人に立身しようとして居る人間も随分あるといふ事だ。全体|信濃《しなの》のその二人の故郷といふのは、越後《ゑちご》の方に其境を接して居るから、出稼《でかせぎ》といふ一種の冒険心には此上もなく富んで居るので、また現在その冒険に成功して、錦を故郷に飾つた例《ためし》はいくらも眼の前に転《ころが》つて居るから、志を故郷に得ぬものや、貧窶《ひんる》の境《きやう》に沈淪《ちんりん》して何《ど》うにも彼《か》うにもならぬ者や、自暴自棄に陥つた者や、乃至《ないし》は青雲の志の烈しいものなどは、恰《あたか》も渓流の大海《だいかい》に向つて流れ出づるが如く、日夜都会に向つて身を投ずるのを躊躇《ちうちよ》しないのであつた。あゝこの山中の民の冒険心。
で、自分は愈《いよ/\》その山中の二人の青年と親しくなつて、果ては殆《ほとん》ど毎日のやうにその二階を訪問した。春はやゝ過ぎて、夕の散歩の好時節になると、自分はよく四谷の大通を散歩して、帰りには必ずその柳のある湯屋に寄つてみる。すると、二階の上から田舎の太神楽《だいかぐら》に合せる横笛の声がれろれろ、ひーひやらりと面白く聞えて、月がその物干台の上に水の如く照り渡つて、その背の低い山県の姿が、明かな夜の色の中に黒くくつきりと際立《きはだ》つて見える。
「おい、山県君!」
と下から声を懸ける。
と……笛の音《ね》がばつたり止む。
「誰だか」
と続いて田舎訛《ゐなかなまり》の声。
「僕、僕、富山《とみやま》!」
「富山君か、上《あが》んなはれ」
その物干台! その月の照り渡つた物干台の上で、自分等は何んなにその美しい夜を語り合つたであらうか。今頃は私等の故郷でもあの月が三峯《みつみね》の上に出て、鎮守の社《やしろ》の広場には、若い男や若い女がその光を浴びながら何の彼《か》のと言つて遊び戯れて居るであらう。斑尾山《まだらをさん》の影が黒くなつて、村の家々より漏るゝ微かな燈火《ともしび》の光! あゝ帰りたい、帰りたいと山県は懐郷の情に堪へないやうに幾度もいふ。自分も何んなにその静かな山中の村を想像したであらうか。
半年程立つた頃、自分は又その同じ村の青年の脱走者を二人から紹介された。顔の丸い、髪の前額《ひたひ》を蔽《おほ》つた二十一二の青年で、これは村でも有数の富豪の息子であるといふ事であつた。けれど自分は杉山からその新脱走者の家の経歴を聞いたばかり、別段二人ほど懇意にはならなかつた。杉山の言ふ所によると、その根本《ねもと》(青年の名は根本|行輔《かうすけ》と言ふので)の家柄は村では左程重きを置かれて居ないので、今でこそ村第一の富豪《かねもち》などと威張つて居るが、親父の代までは人が碌々《ろく/\》交際も為《し》ない程の貧しい身分で、その親父は現に村の鎮守の賽銭《さいせん》を盗んだ事があつて、その二十七八の頃には三之助(親父の名)は村の為めに不利な事ばかり企らんでならぬ故いつそ筵《こも》に巻いて千曲川《ちくまがは》に流して了はうではないかと故老の間に相談されたほどの悪漢であつたといふ事である。それがある時、其頃の村の俄分限《にはかぶんげん》の山田といふ老人に、貴様も好い年齢《とし》をして、いつまで村の衆に厄介を懸けて居るといふ事もあるまい。もう貴様も到底《たうてい》村では一旗挙げる事は難しい身分だから、一つ奮発して、江戸へ行つて皆の衆を見返つて遣らうといふ気は無いか。私《わし》などを見なされ、一度は随分村の衆に馬鹿にされて、口惜しい/\と思つたが、今では何うやらかういふ身になつて、人にも立てられる様になつた。三之助、貴様は本当に一つ奮発して見る気は無いか。と懇々説諭されて、鬼の眼に涙を拭き/\、餞別《せんべつ》に貰つた金を路銀《ろぎん》にして、それで江戸へ出て来たが、二十年の間に、何う転んで、何う起きたか、五千といふ金を攫《つか》んで帰つて来て、田地を買ふ、養蚕《やうさん》を為る、金貸を始める、瞬《またゝ》く間に一万の富豪《しんだい》! だから、村では根本の家をあまり好くは言はぬので、その賽銭箱の切取つた処には今でも根本三之助窃盗と小さく書いてあつて、金を二百円出すから、何うかそれを造り更《か》へて呉れろと頼んでも、村の故老は断乎《だんこ》としてそれに応じようともせぬとの事である。その長男がまた新しい青雲を望んで、ひそかに国を脱走するといふのは……何と面白い話では無いか。
けれど自分がこの三人と交際したのは纔《わづ》か二年に過ぎなかつた。山県は家が余り富んで居ない為め、学資が続かないで失望して帰つて了ふし、根本は家から迎ひの者が来て無理往生に連れて行つて了ふし、唯一人杉山ばかり自分と一緒に其志を固く執《と》つて、翌年の四月陸軍幼年学校の試験に応じたが自分は体格で不合格、杉山は亦《また》学科で失敗して、それからといふものは自分等の間にもいつか交通が疎《うと》くなり、遂《つひ》には全く手紙の交際になつて了つた。杉山は猶《なほ》暫く東京に滞《とゞま》つて居た様子であつたが、耳にするその近状はいづれも面白からぬ事ばかりで、やれ吉原通《よしはらがよひ》を始めたの、筆屋の娘を何うかしたの、日本授産館の山師に騙《だま》されて財産を半分程|失《な》くしたのと全く自暴自棄に陥つたやうな話であつた。それから一年程経つて失敗に失敗を重ねて、茫然《ぼんやり》田舎に帰つて行つた相だが、間もなく徴兵の鬮《くじ》が当つて高崎の兵営に入つたといふ噂《うはさ》を聞いた。
四
五年は夢の如く過ぎ去つた。
其の五年目の夏のある静かな日の事であつた。自分は小山から小山の間へと縫ふやうに通じて居る路を喘《あへ》ぎ/\伝つて行くので、前には僧侶の趺坐《ふざ》したやうな山が藍《あゐ》を溶《とか》したやうな空に巍然《ぎぜん》として聳《そび》えて居て、小山を開墾した畑には蕎麦《そば》の花がもうそろ/\その白い美しい光景を呈し始めようとして居た。空気は此上も無く澄んで、四面の山の涼しい風が何処から吹いて来るとも無く、自分の汗になつた肌を折々襲つて行くその心地好さ! これは山でなければ得られぬ賜《たまもの》と、自分はそれを真袖《まそで》に受けて、思ふさま山の清い※[#「冫+影」、333−上−9]気《けいき》を吸つた。十年都会の塵にまみれて、些《いさゝか》の清い空気をだに得ることの出来なかつた自分は、長野の先の牟礼《むれ》の停車場で下りた時、その下を流るゝ鳥居川の清渓と四辺《あたり》を囲む青山の姿とに、既に一方《ひとかた》ならず心を奪はれて、世にもかゝる自然の風景もあることかと坐《そゞ》ろに心を動かしたのであるが、渓橋を渡り、山嶺《さんれい》をめぐり、進めば進むほど、行けば行くだけ、自然の大景は丁度《ちやうど》尽きざる絵巻物を広げるが如く、自分の眼前に現はれて来るので、自分は益々興を感じて、成程これでは友が誇つたのも無理ではないと心《しん》から思つた。
小山と小山との間に一道の渓流《けいりう》、それを渡り終つて、猶其前に聳えて居る小さい嶺《みね》を登つて行くと、段々|四面《あたり》の眺望《てうばう》がひろくなつて、今迄越えて来た山と山との間の路が地図でも見るやうに分明《はつきり》指点せらるゝと共に、この小嶺《せうれい》に塞《ふさ》がれて見得なかつた前面の風景も、俄《には》かにパノラマにでも向つたやうにはつと自分の眼前に広げられた。
上州境の連山が丁度《ちやうど》屏風《びやうぶ》を立廻したやうに一帯に連《つらな》り渡つて、それが藍《あゐ》でも無ければ紫でも無い一種の色に彩《いろど》られて、ふは/\とした羊の毛のやうな白い雲が其|絶巓《ぜつてん》からいくらも離れぬあたりに極めて美しく靡《なび》いて居る工合、何とも言ヘぬ。そして自分のすぐ前の山の、又その向ふの山を越えて、遙《はる》かに帯を曳《ひ》いたやうな銀《しろがね》の色のきらめき、あれは恐らく千曲《ちくま》の流れで、その又向ふに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野の町であらう。と思つて、ふと少し右に眼を移すと、千曲川の沿岸とも覚しきあたりに、絶大なる奇山の姿!
何と言ふ山か知らん……と自分は少時《しばらく》その好景に見惚《みと》れて居た。
ふと背負籠《しよひかご》を負つた中老漢《ちゆうおやぢ》が向ふから上《のぼ》つて来たので、
「あの山は?」
と指《ゆびさ》して尋ねた。
「あれでがすか、あれははア、飯山《いひやま》の向ふの高社山《かうしやざん》と申しやすだア」
あれが高社山! よく友の口から聞いたと思ふと、其時の事が簇々《むら/\》と思ひ出されて今更其頃が懐《なつ》かしい。其頃は其仙境を何時《いつ》尋ねて行かれるであらうか、或は一生尋ねて行く事が出来ぬかも知れぬなどと思つて居たが、五年後の今日かうして尋ねて行くとは、如何に縁の深い事であらう。
「塩山村《しほやまむら》へはまだ余程あるかね」
「塩山へかね」と背負籠《しよひかご》を傍《かたはら》の石の上に下して、腰を伸しながら、「塩山へは此処からまだ二里と言ひやすだ。あの向ふの大《でか》い山の下に小《こまか》い山が幾箇《いくつ》となく御座らつせう。その山中《やまんなか》だアに……」
「塩山に根本といふ家はあるかね」
と自分は更に尋ねた。
「根本………御座らしやるとも、根本ていのア、塩山では一等の丸持大尽《まるもちだいじん》でごわすア」と答へて、更に、「で貴郎《あんた》ア、根本さア処《とけ》の御客様《おきやくさん》かね」
「其処に行輔《かうすけ》といふ子息《むすこ》が有るだらう?」
「御座らつしやる」と言つて吸ひ懸けた烟草《たばこ》の烟《けむり》を不細工な獅子鼻からすうと出し、「大尽どこの子息に似合ねえ堅い子息でごわすア、何でも東京へ行かしつた時にア、それでも四五百も遣つたといふ噂だが、それから堅くなつて、今ぢや村でも評判ものでごわす」
「一体|汝《おまへ》は何処だね? 塩山かね」
「いんにや、塩山ではごへん、その一つ前の村の倉沢でごわす」
「もう根本は女房《かみさん》を持つたらう」
「嚊《かゝ》さまでごわすか、持ちましたとも、……えいと……あれは確か三年前で、芋子村《いもこむら》の大尽の娘さアだ」
「子供は?」
「まだごわしねえ、もう出来さうな者だつて此間《こねえだ》も父様《とつさま》えらく心配《しんぺい》のう為《し》で御座らしやつたけ」
「それでは山県といふのも知つてるだらう」
「山県――はア学校の先生|様《さん》だア、私等が餓児《がき》も先生様の御蔭にはえらくなつてるだア。好《え》い優しい人で、はア」
「
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