には若者の遊び場所と言ふやうなものがあつて、(自分は根本行輔の口からこの物語を聞いて居るので)昼間の職業《しごと》を終つて夕飯を済すと、いつも其処に行つて、娘の子の話やら、喧嘩の話やら、賭博《ばくち》の話やら、いろ/\くだらぬ話を為て、傍《かたは》ら物を食つたり、酒を飲んだりする処がある。今では学校が出来て、教育の大切な事が誰の頭脳《あたま》にも入つて来たから、さういふ下らぬ遊を為《す》るものも少く為《な》つたけれど、まだ私等の頃までは、随分それが盛んで、やれ平右衛門の二番娘は容色《きりやう》が好いの、やれ総助の処の末の娘が段々色気が付いて来たのと下らぬ噂を為《する》ばかりならまだ好いが、若者と若者との間にその娘に就いての鞘当《さやあて》が始まる、口論が始まる、喧嘩が始まる、皿が飛ぶ、徳利が破《こは》れるといふ大活劇を演ずることも度々で、それは随分|弊《へい》が多かつた。殊に其遊び場所の最も悪い弊と言ふのは、その若者の群の中にも自《おのづ》から勢力の有るものと、無いものとの区別があつて、其勢力のある者が、まだ十六七の若い青年を面白半分に悪いところに誘つて行く、これが第一の弊だと思ふ。

前へ 次へ
全103ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング