こ》んで了《しま》へと決議した人の一人であつたといふ。性質の穏かな、言葉数の少ない、慈愛心の深い人で、殊に学問――と謂《い》ふ程でも無いが、御家流《おいへりう》の字が村にも匹敵《ひつてき》するものが無い程上手で、他村への交渉、飯山藩の武士への文通などは皆この人に頼んで書いて貰ふのが殆ど例になつて居たといふ事である。この人は千曲川の対岸の大俣《おほまた》といふ処から、妻を娶《めと》つたが、この妻といふ人も至極好人物で、貧乏者にはよく米を遣つたり、金銭を施したりして、年が老《と》つてからは、寺参りをのみ課業として、全く後生《ごしやう》を願ふといふ念より外に他《ほか》は無かつた。であるのに、僅《わづ》か一代を隔てて、何うしてこんな不幸がその藤田一家を襲つたのであらうか。何うしてその祖父祖母の孫に今の重右衛門のやうな、乱暴|無慚《むざん》の人間が出たのであらうか。
その優しい正しい祖父祖母の問に、仮令《たとへ》女でも好いから、まことの血統を帯びた子といふ者が有つたなら、決してこんな事は無かつたらうとは、村でも心ある者の常に口に言ふ所であるが、不幸にもその祖父祖母の間には一人の子供も無かつたので、藤田の系統《けつとう》を継《つ》がしむる為めに、二人は他の家から養子を為なければならなかつた。今の重右衛門の父と言ふのは、芋沢のさる大尽の次男で、母は村の杉坂正五郎といふものの三女である。何方《どちら》も左程悪い人間と言ふではないが、否、現に今も子息《むすこ》の事を苦にして、村の者に顔を合せるのも恥しいと山の中に隠れて出て来ぬといふやうな寧《むし》ろ正直な人間ではあるが、さりとて、又、祖父祖母のやうな卓《すぐ》れて美しい性質は夫婦とも露ばかりも持つて居らなかつたので、母方の伯父《をぢ》といふ人は人殺をして斬罪《ざんざい》に処せられたといふ悪い歴史を持つて居るのであつた。で、この夫婦養子の間《なか》に間もなく出来たのが、今の重右衛門。子の無い処の孫であるから、祖父祖母の寵愛《ちようあい》は一方《ひとかた》ではなく、一にも孫、二にも孫と畳にも置かぬほどにちやほやして、その寵愛する様は、他所目《よそめ》にも可笑《をか》しい程であつたといふ。処が、この最愛の孫に一つ悲むべきことがある。それは生れながらにして、腸の一部が睾丸《かうぐわん》に下りて居る事で、何うかしてこの大睾丸《おほきんたま》
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