、一つ奮発して、江戸へ行つて皆の衆を見返つて遣らうといふ気は無いか。私《わし》などを見なされ、一度は随分村の衆に馬鹿にされて、口惜しい/\と思つたが、今では何うやらかういふ身になつて、人にも立てられる様になつた。三之助、貴様は本当に一つ奮発して見る気は無いか。と懇々説諭されて、鬼の眼に涙を拭き/\、餞別《せんべつ》に貰つた金を路銀《ろぎん》にして、それで江戸へ出て来たが、二十年の間に、何う転んで、何う起きたか、五千といふ金を攫《つか》んで帰つて来て、田地を買ふ、養蚕《やうさん》を為る、金貸を始める、瞬《またゝ》く間に一万の富豪《しんだい》! だから、村では根本の家をあまり好くは言はぬので、その賽銭箱の切取つた処には今でも根本三之助窃盗と小さく書いてあつて、金を二百円出すから、何うかそれを造り更《か》へて呉れろと頼んでも、村の故老は断乎《だんこ》としてそれに応じようともせぬとの事である。その長男がまた新しい青雲を望んで、ひそかに国を脱走するといふのは……何と面白い話では無いか。
けれど自分がこの三人と交際したのは纔《わづ》か二年に過ぎなかつた。山県は家が余り富んで居ない為め、学資が続かないで失望して帰つて了ふし、根本は家から迎ひの者が来て無理往生に連れて行つて了ふし、唯一人杉山ばかり自分と一緒に其志を固く執《と》つて、翌年の四月陸軍幼年学校の試験に応じたが自分は体格で不合格、杉山は亦《また》学科で失敗して、それからといふものは自分等の間にもいつか交通が疎《うと》くなり、遂《つひ》には全く手紙の交際になつて了つた。杉山は猶《なほ》暫く東京に滞《とゞま》つて居た様子であつたが、耳にするその近状はいづれも面白からぬ事ばかりで、やれ吉原通《よしはらがよひ》を始めたの、筆屋の娘を何うかしたの、日本授産館の山師に騙《だま》されて財産を半分程|失《な》くしたのと全く自暴自棄に陥つたやうな話であつた。それから一年程経つて失敗に失敗を重ねて、茫然《ぼんやり》田舎に帰つて行つた相だが、間もなく徴兵の鬮《くじ》が当つて高崎の兵営に入つたといふ噂《うはさ》を聞いた。
四
五年は夢の如く過ぎ去つた。
其の五年目の夏のある静かな日の事であつた。自分は小山から小山の間へと縫ふやうに通じて居る路を喘《あへ》ぎ/\伝つて行くので、前には僧侶の趺坐《ふざ》したやうな山が藍《あゐ》を溶
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