、繻珍《しゅちん》の鼻緒《はなお》、おろし立ての白足袋《しろたび》、それを見ると、もうその胸はなんとなくときめいて、そのくせどうのこうのと言うのでもないが、ただ嬉《うれ》しく、そわそわして、その先へ追い越すのがなんだか惜しいような気がする様子である。男はこの女を既に見知っているので、少なくとも五、六度はその女と同じ電車に乗ったことがある。それどころか、冬の寒い夕暮れ、わざわざ廻《まわ》り路《みち》をしてその女の家を突き留めたことがある。千駄谷の田畝の西の隅《すみ》で、樫の木で取り囲んだ奥の大きな家、その総領娘であることをよく知っている。眉《まゆ》の美しい、色の白い頬《ほお》の豊かな、笑う時言うに言われぬ表情をその眉と眼との間にあらわす娘だ。
「もうどうしても二十二、三、学校に通っているのではなし……それは毎朝|逢《あ》わぬのでもわかるが、それにしてもどこへ行くのだろう」と思ったが、その思ったのが既に愉快なので、眼の前にちらつく美しい着物の色彩が言い知らず胸をそそる。「もう嫁に行くんだろう?」と続いて思ったが、今度はそれがなんだか侘《わび》しいような惜しいような気がして、「己《おれ》も
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