。若い時、ああいうふうで、むやみに恋愛神聖論者を気どって、口ではきれいなことを言っていても、本能が承知しないから、ついみずから傷つけて快を取るというようなことになる。そしてそれが習慣になると、病的になって、本能の充分の働きをすることができなくなる。先生のはきっとそれだ。つまり、前にも言ったが、肉と霊とがしっくり調和することができんのだよ。それにしてもおもしろいじゃないか、健全をもってみずからも任じ、人も許していたものが、今では不健全も不健全、デカダンの標本になったのは、これというのも本能をないがしろにしたからだ。君たちは僕が本能万能説を抱《いだ》いているのをいつも攻撃するけれど、実際、人間は本能がたいせつだよ。本能に従わん奴《やつ》は生存しておられんさ」と滔々《とうとう》として弁じた。

       四

 電車は代々木を出た。
 春の朝は心地《ここち》が好い。日がうらうらと照り渡って、空気はめずらしくくっきりと透《す》き徹《とお》っている。富士の美しく霞《かす》んだ下に大きい櫟林《くぬぎばやし》が黒く並んで、千駄谷《せんだがや》の凹地《くぼち》に新築の家屋の参差《しんし》として連な
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