ないものですね」かう言れた時、Bは、「だつて、君、かういふことがあるよ、いかに砕けたものでも、他に本当に恋したものがあれば、その女の心と一緒になつてゐれば、他に手が出したくつたつて出せないぢやないか。いや、僕にさういふ女があるか、何うか、それは此処には言はないけれども、もしさうだつたとすれば、僕が今他の女に手を出さないのも無理はないぢやないか。何しろ、その女が現に僕と一緒にゐるんだもの……。僕と一緒に歩いてゐるんだもの。ホテルに泊つて、ダブルベツトでさびしいだらうなどゝ君達は言ふかも知れないけれども、そこはねえ、君、ちやんと毎夜来て一緒に寝てゐるんだもの……」こんなことを言つて大勢の人達を煙《けむ》に巻いたことを繰返した。
※[#始め二重括弧、1−2−54]しかし、今夜こそは、本当に、かの女が来る。あの飽きも飽かれもせずに別れた時子が来る※[#終わり二重括弧、1−2−55]かう思ふと、Bはもう一刻もぢつとしてはゐられなかつた。かれはそのまま巻煙草を捨てゝ身を起した。

         二

 かれはしんとした長い廊下を静かに歩いて行つた。胸は一大事にでも臨んだものゝやうにわく/\した
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