くなる二つの心と体とではないか。それは世話になつてゐる人に対しては罪ではあるが、その罪は赦さるべきではないか。四五日後にはいかに燃えても再び相見ることが出来ないといふことで許さるべきではないか。否、考へるともなくさうした考へに耽《ふけ》つた時には、Bは何とも言はれない悲哀に落ちずにはゐられなかつた。さういふ風に触れ合つた二つの心が、この世の運命といふものゝために、再び遠く離れ去らなければならないことを考へた時には、かれは深く、一層深く恋愛の淵に臨んだやうな気がした。
 突然、かれは軽いスリツパの音の遠くからきこえて来るのを聞いたやうに思つた。かれははつとして耳を欹《そばだ》てた。次第にそれは階段から廊下の方へと近寄つて来る跫音だといふことがわかつた。しかしそれはひとつの跫音ではなかつた。何か女同志が囁き合ひながら歩いて来てゐるのであつた。いきなりBは全身に強い衝動を感じた。かれはかの女の気勢《けはひ》と声とを感じたのである。
「この室《へや》ですね?」
(さうです)
 さうした声が耳に入つたと思ふと、扉《ドア》の把手《ハンドル》がぐるりと廻つて、さつきの女中の小づくりな蒼白い顔がひよい
前へ 次へ
全16ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング