つたところにあつた山畑からそッと取つて來た里芋であつた。一しきり盛んに降つた雨は、やがて小降りになつたが、今度は霧が一間先も見えない位に深く立罩めて、あたりは唯白く茫と打渡されて見えた。何處かで山鳩が啼く聲がした。
 若い嚊は鍋の蓋を取つて、箸をさして見て、それを平公の方へと持つて行つた。鹽を袋の中から一つまみ出して來た。
『食はねえかえ?』
『うん……。』
『これは旨かんべいよ。』
『さうだな。』
 平公はそれを一つつまんで、鹽をつけてむしや/\食つた。
『里のは、旨いや。』
『さうだな。』
 若い嚊も二つ三つ食つたが、深い霧の處々切れて晴れて行くのを見て、『好い鹽梅だ。晴れつかも知んねえ。』
『さうだな。』
 かう言つたが、『今の中、水汲んで來やれな。又、降ると困るぞ。』
『さうだな。』
 若い嚊はぐづ/″\してゐたが、やがてバケツを二つ天秤棒代りの木の杖にかけて、手拭で頬かむりをして、そのまゝ霧を衝いて出て行つた。雨はまだチラ/\落ちてゐた。
 二三町行つた谷合に、綺麗な水が流れてゐるのを若い嚊はよく知つてゐた。かの女は平公と夫婦にならない以前にも、親に伴れられたり、仲間の女に伴れられたりして、二度も三度も此處に來て泊つた。ある夏の初めに來た時には、其處から草花の見事に咲いた高原を通つて、さゝらを持つて、大勢して里の方へ出て行つた。
 露の深い草の中を通つて、崖のやうになつた處を少し下りると、ちよろちよろと水の流れる音がして、下流の岩に碎けるのが白く見え出して來た。やがて川の岸に下り立つた若い嚊は、バケツを石と瀬の間に入れて、水の一杯になるのを待つた。
 一つを持上げて、又一つを入れた。
 ふとガサガサと草を分けて來るものの氣勢がして、山猪か、でなければ鹿か、熊はまだ出るわけはないと思つたが、そのまゝぢつと音のする方を見た。かの女は鋭利な鎌を腰にさしてゐた。
 突然草の中から人の姿が現はれた。
『オ。』
『これは――』
 顏見合せて二人は一緒に聲をあげた。やがて、『常やんぢやねえか。誰かと思つた。俺ア熊かと思つた。』
『ヤア、まんさんか。』
 かう言つて常と呼ばれた男は近寄つて來て、『好いところで逢つた。平さん、一緒かな。』
『ゐたつけ。』
『好い處で逢つた。……里で食つちやつてな。俺ア大急ぎで、遁げて來ただが、えらい眼に逢つた。』
『さうけえ。』
 常公は矢
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