て来たいと言ったが、社へも行かずに家に居た時雄はそれを許さなかった。一日はかくて過ぎた。田中から何等の返事もなかった。
芳子は午飯《ひるめし》も夕飯も食べたくないとて食わない。陰鬱《いんうつ》な気が一家に充《み》ちた。細君は夫の機嫌《きげん》の悪いのと、芳子の煩悶しているのに胸を痛めて、どうしたことかと思った。昨日の話の模様では、万事円満に収まりそうであったのに……。細君は一椀なりと召上らなくては、お腹が空《す》いて為方《しかた》があるまいと、それを侑《すす》めに二階へ行った。時雄はわびしい薄暮を苦《にが》い顔をして酒を飲んでいた。やがて細君が下りて来た。どうしていたと時雄は聞くと、薄暗い室に洋燈《ランプ》も点《つ》けず、書き懸けた手紙を机に置いて打伏《うつぶ》していたとの話。手紙? 誰に遣《や》る手紙? 時雄は激した。そんな手紙を書いたって駄目だと宣告しようと思って、足音高く二階に上った。
「先生、後生《ごしょう》ですから」
と祈るような声が聞えた。机の上に打伏したままである。「先生、後生ですから、もう、少し待って下さい。手紙に書いて、さし上げますから」
時雄は二階を下りた。暫くして下女は細君に命ぜられて、二階に洋燈《ランプ》を点けに行ったが、下りて来る時、一通の手紙を持って来て、時雄に渡した。
時雄は渇したる心を以て読んだ。
[#ここから2字下げ]
先生、
私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫《わ》びしても許されませぬほど大きいと思います。先生、どうか弱いものと思ってお憐《あわれ》み下さい。先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行っておりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持っておりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆な私の至らない為であると思いますと、じっとしてはいられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋《すが》り申すより他、私には道が無いので御座います。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]芳子
[#ここから4字下げ]
先生 おもと
[#ここで字下げ終わり]
時雄は今更に地の底にこの身を沈めらるるかと思った。手紙を持って立上った。その激した心には、芳子がこの懺悔《ざんげ》を敢《あえ》てした理由――総《すべ》てを打明けて縋ろうとした態度を解釈する余裕が無かった。二階の階梯《はしご》をけたたましく踏鳴らして上って、芳子の打伏している机の傍に厳然として坐った。
「こうなっては、もう為方がない。私はもうどうすることも出来ぬ。この手紙はあなたに返す、この事に就いては、誓って何人にも沈黙を守る。とにかく、あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥しくない。けれどこうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜――これから直ぐ父様の処に行きましょう、そして一伍一什《いちぶしじゅう》を話して、早速、国に帰るようにした方が好い」
で、飯を食い了《おわ》るとすぐ、支度をして家を出た。芳子の胸にさまざまの不服、不平、悲哀が溢《あふ》れたであろうが、しかも時雄の厳《おごそ》かなる命令に背《そむ》くわけには行かなかった。市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで座を取ったが、しかも一語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館に行くと、父親は都合よく在宅していた。一伍一什――父親は特に怒りもしなかった。唯同行して帰国するのをなるべく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路《みち》は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、唯、運命の奇《く》しきに呆《あき》るるという風であった。時雄は捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の状態に於いては無論許そうとは為なかった。芳子もまた親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いておらなかった。で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。
十
田中は翌朝時雄を訪うた。かれは大勢《たいせい》の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々《るる》として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例《ならい》として、いかようにしても離れまいとするのである。
時雄の顔には得意の色が上《のぼ》った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一伍一什をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解った。大変な神聖な恋でしたナ」
田中の顔は俄《にわ》かに変った。羞恥《しゅうち》の念と激昂《げっこう》の情と絶望の悶《もだえ》とがその胸を衝《つ》いた。かれは言うところを知らなかった。
「もう、止むを得んです」と時雄は言葉を続《つ》いで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭《いや》です。芳子を父親の監督に移したです」
男は黙って坐っていた。蒼《あお》いその顔には肉の戦慄《せんりつ》が歴々《ありあり》と見えた。不図《ふと》、急に、辞儀をして、こうしてはいられぬという態度で、此処《ここ》を出て行った。
午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰《もら》うとして、手廻の物だけ纒《まと》めて行こうというのであった。芳子は自分の二階に上って、そのまま荷物の整理に取懸った。
時雄の胸は激してはおったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もうその美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘《わび》しさを感ずるが、その恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことは尠《すくな》くとも愉快であった。で、時雄は父親と寧《むし》ろ快活に種々なる物語に耽《ふけ》った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田《ちくでん》、海屋《かいおく》、茶山《さざん》の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自《おのずか》らそれに移った。平凡なる書画物語は、この一室に一時栄えた。
田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。
「御帰国になるんでしょうか」
「え、どうせ、帰るんでしょう」
「芳さんも一緒に」
「それはそうでしょう」
「何時《いつ》ですか、お話下されますまいか」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ」
「それでは一寸《ちょっと》でも……芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか」
「それは駄目でしょう」
「では、お父様は何方へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから」
取附く島がない。田中は黙って暫《しば》し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。
昼飯の膳《ぜん》がやがて八畳に並んだ。これがお別れだと云うので、細君は殊《こと》に注意して酒肴《さけさかな》を揃《そろ》えた。時雄も別れのしるしに、三人相並んで会食しようとしたのである。けれど芳子はどうしても食べたくないという。細君が説勧《ときすす》めても来ない。時雄は自身二階に上った。
東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎《びん》やら、行李《こうり》やら、支那鞄《しなかばん》やらが足の踏《ふ》み度《ど》も無い程に散らばっていて、塵埃《ほこり》の香が夥《おびただ》しく鼻を衝《つ》く中に、芳子は眼を泣腫《なきはら》して荷物の整理を為ていた。三年前、青春の希望|湧《わ》くがごとき心を抱《いだ》いて東京に出て来た時のさまに比べて、何等の悲惨、何等の暗黒であろう。すぐれた作品一つ得ず、こうして田舎に帰る運命かと思うと、堪らなく悲しくならずにはいられまい。
「折角支度したから、食ったらどうです。もう暫くは一緒に飯も食べられんから」
「先生――」
と、芳子は泣出した。
時雄も胸を衝《つ》いた。師としての温情と責任とを尽したかと烈しく反省した。かれも泣きたいほど侘《わび》しくなった。光線の暗い一室、行李や書籍の散逸せる中に、恋せる女の帰国の涙、これを慰むる言葉も無かった。
午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅《くりうめ》の被布《ひふ》を着て、白いリボンを髪に※[#「插」のつくりの縦棒が下に突き抜ける、第4水準2−13−28]《さ》して、眼を泣腫《なきはら》していた。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら……私、またきっと来てよ、きっと来てよ、来ないでおきはしないわ」
「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、きっとね」
と、細君も堅く手を握りかえした。その眼には涙が溢《あふ》れた。女心の弱く、同情の念はその小さい胸に漲《みなぎ》り渡ったのである。
冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先《まっさき》に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。細君と下婢とは名残《なごり》を惜んでその車の後影を見送っていた。その後に隣の細君がこの俄《にわ》かの出立を何事かと思って見ていた。猶その後の小路の曲り角に、茶色の帽子を被《かぶ》った男が立っていた。芳子は二度、三度まで振返った。
車が麹町《こうじまち》の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮んだ。前に行く車上の芳子、高い二百三高地巻、白いリボン、やや猫背勝なる姿、こういう形をして、こういう事情の下に、荷物と共に父に伴《つ》れられて帰国する女学生はさぞ多いことであろう。芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家の喧《やかま》しく女子問題を言うのも無理はない。時雄は父親の苦痛と芳子の涙とその身の荒涼たる生活とを思った。路行く人の中にはこの荷物を満載して、父親と中年の男子に保護されて行く花の如き女学生を意味ありげに見送るものもあった。
京橋の旅館に着いて、荷物を纒《まと》め、会計を済ました。この家は三年前、芳子が始めて父に伴れられて出京した時泊った旅館で、時雄は此処に二人を訪問したことがあった。三人はその時と今とを胸に比較して感慨多端であったが、しかも互に避けて面《おもて》にあらわさなかった。五時には新橋の停車場に行って、二等待合室に入った。
混雑また混雑、群衆また群衆、行く人送る人の心は皆|空《そら》になって、天井に響く物音が更に旅客の胸に反響した。悲哀《かなしみ》と喜悦《よろこび》と好奇心とが停車場の到る処に巴渦《うず》を巻いていた。一刻毎に集り来る人の群、殊に六時の神戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃《けんまこくげき》の光景となった。時雄は二階の壺屋《つぼや》からサンドウィッチを二箱買って芳子に渡した。切符と入場切符も買った。手荷物のチッキも貰った。今は時刻を待つばかりである。
この群集の中に、もしや田中の姿が見えはせぬかと三人皆思った。けれどその姿は見えなかった。
ベルが鳴った。群集はぞろぞろと改札口に集った。一刻も早く乗込もうとする心が燃えて、焦立《いらだ》って、その混雑は一通りでなかった。三人はその間を辛《かろ》うじて抜けて、広いプラットホオムに出た。そして最も近い二等室に入った。
後からも続々と旅客が入って来た。長い旅を寝て行こうとする商人もあった。呉《くれ》あたりに帰るらしい軍人の佐官もあった。大阪言葉を露骨に、喋々《ちょうちょう》と雑話に耽《ふ》ける女連もあった。父親は白い毛布を長く敷いて、傍に小さい鞄を置いて、芳子と相並んで腰を掛けた。電気の光が車内に差渡って、芳子の白い顔がまるで浮彫のように見えた。父親は窓際に来て、幾度も厚意のほどを謝し、後に残ることに就いて、万事を嘱《しょく》した。時雄は茶色の中折帽、七子《ななこ
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