戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃《けんまこくげき》の光景となった。時雄は二階の壺屋《つぼや》からサンドウィッチを二箱買って芳子に渡した。切符と入場切符も買った。手荷物のチッキも貰った。今は時刻を待つばかりである。
この群集の中に、もしや田中の姿が見えはせぬかと三人皆思った。けれどその姿は見えなかった。
ベルが鳴った。群集はぞろぞろと改札口に集った。一刻も早く乗込もうとする心が燃えて、焦立《いらだ》って、その混雑は一通りでなかった。三人はその間を辛《かろ》うじて抜けて、広いプラットホオムに出た。そして最も近い二等室に入った。
後からも続々と旅客が入って来た。長い旅を寝て行こうとする商人もあった。呉《くれ》あたりに帰るらしい軍人の佐官もあった。大阪言葉を露骨に、喋々《ちょうちょう》と雑話に耽《ふ》ける女連もあった。父親は白い毛布を長く敷いて、傍に小さい鞄を置いて、芳子と相並んで腰を掛けた。電気の光が車内に差渡って、芳子の白い顔がまるで浮彫のように見えた。父親は窓際に来て、幾度も厚意のほどを謝し、後に残ることに就いて、万事を嘱《しょく》した。時雄は茶色の中折帽、七子《ななこ
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