》の三紋《みつもん》の羽織という扮装《いでたち》で、窓際に立尽していた。
発車の時間は刻々に迫った。時雄は二人のこの旅を思い、芳子の将来のことを思った。その身と芳子とは尽きざる縁《えにし》があるように思われる。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう。理想の生活、文学的の生活、堪え難き創作の煩悶《はんもん》をも慰めてくれるだろう。今の荒涼たる胸をも救ってくれる事が出来るだろう。「何故、もう少し早く生れなかったでしょう、私も奥様時分に生れていれば面白かったでしょうに……」と妻に言った芳子の言葉を思い出した。この芳子を妻にするような運命は永久その身に来ぬであろうか。この父親を自分の舅《しゅうと》と呼ぶような時は来ぬだろうか。人生は長い、運命は奇《く》しき力を持っている。処女でないということが――一度節操を破ったということが、却《かえ》って年多く子供ある自分の妻たることを容易ならしむる条件となるかも知れぬ。運命、人生――曽《かつ》て芳子に教えたツルゲネーフの「プニンとバブリン」が時雄の胸に上《のぼ》った。露西亜《ロシア》の卓《すぐ》れた作家の
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