た。
 午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅《くりうめ》の被布《ひふ》を着て、白いリボンを髪に※[#「插」のつくりの縦棒が下に突き抜ける、第4水準2−13−28]《さ》して、眼を泣腫《なきはら》していた。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら……私、またきっと来てよ、きっと来てよ、来ないでおきはしないわ」
「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、きっとね」
 と、細君も堅く手を握りかえした。その眼には涙が溢《あふ》れた。女心の弱く、同情の念はその小さい胸に漲《みなぎ》り渡ったのである。
 冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先《まっさき》に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。細君と下婢とは名残《なごり》を惜んでその車の後影を見送っていた。その後に隣の細君がこの俄《にわ》かの出立を何事かと思って見ていた。猶その後の小路の曲り角に、茶色の帽子を被《かぶ》った男が立っていた。芳子は二度、三度まで振返った。
 車が麹町《こうじまち》の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮んだ。前に行く
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