け》った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田《ちくでん》、海屋《かいおく》、茶山《さざん》の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自《おのずか》らそれに移った。平凡なる書画物語は、この一室に一時栄えた。
 田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。
「御帰国になるんでしょうか」
「え、どうせ、帰るんでしょう」
「芳さんも一緒に」
「それはそうでしょう」
「何時《いつ》ですか、お話下されますまいか」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ」
「それでは一寸《ちょっと》でも……芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか」
「それは駄目でしょう」
「では、お父様は何方へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから」
 取附く島がない。田中は黙って暫《しば》し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。
 昼飯の膳《ぜん》がやがて八畳に並んだ。これがお別れだと云うので、細君は殊《こと》に注意して酒肴《さけさかな》を揃《そ
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