くと、父親は都合よく在宅していた。一伍一什――父親は特に怒りもしなかった。唯同行して帰国するのをなるべく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路《みち》は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、唯、運命の奇《く》しきに呆《あき》るるという風であった。時雄は捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の状態に於いては無論許そうとは為なかった。芳子もまた親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いておらなかった。で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。
十
田中は翌朝時雄を訪うた。かれは大勢《たいせい》の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々《るる》として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例《ならい》として、いかようにしても離れまいとするのである。
時雄の顔には得意の色が上《のぼ》った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一伍一什をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解った。大変な神聖な恋でしたナ」
田中の顔は俄《にわ》かに変った。羞恥《しゅうち》の念と激昂《げっこう
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