るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。

        九

 父親は夕飯の馳走《ちそう》になって旅宿に帰った。時雄のその夜の煩悶《はんもん》は非常であった。欺かれたと思うと、業《ごう》が煮えて為方がない。否、芳子の霊と肉――その全部を一書生に奪われながら、とにかくその恋に就いて真面目《まじめ》に尽したかと思うと腹が立つ。その位なら、――あの男に身を任せていた位なら、何もその処女の節操を尊ぶには当らなかった。自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。こう思うと、今まで上天の境《きょう》に置いた美しい芳子は、売女《ばいじょ》か何ぞのように思われて、その体は愚か、美しい態度も表情も卑しむ気になった。で、その夜は悶《もだ》え悶えて殆《ほとん》ど眠られなかった。様々の感情が黒雲のように胸を通った。その胸に手を当てて時雄は考えた。いっそこうしてくれようかと思うた。どうせ、男に身を任せて汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して、自分の自由にしようかと思った。と、種々《いろいろ》なことが頭脳《あたま》に浮ぶ。芳子がその二階に泊って寝ていた時、もし自
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