分がこっそりその二階に登って行って、遣瀬《やるせ》なき恋を語ったらどうであろう。危座《きざ》して自分を諌《いさ》めるかも知れぬ。声を立てて人を呼ぶかも知れぬ。それとも又せつない自分の情を汲《く》んで犠牲になってくれるかも知れぬ。さて犠牲になったとして、翌朝はどうであろう、明かな日光を見ては、さすがに顔を合せるにも忍びぬに相違ない。日|長《た》けるまで、朝飯をも食わずに寝ているに相違ない。その時、モウパッサンの「父」という短篇を思い出した。ことに少女が男に身を任せて後烈しく泣いたことの書いてあるのを痛切に感じたが、それを又今思い出した。かと思うと、この暗い想像に抵抗する力が他の一方から出て、盛《さかん》にそれと争った。で、煩悶《はんもん》又煩悶、懊悩《おうのう》また懊悩、寝返を幾度となく打って二時、三時の時計の音をも聞いた。
芳子も煩悶したに相違なかった。朝起きた時は蒼《あお》い顔を為《し》ていた。朝飯をも一|椀《わん》で止した。なるたけ時雄の顔に逢うのを避けている様子であった。芳子の煩悶はその秘密を知られたというよりも、それを隠しておいた非を悟った煩悶であったらしい。午後にちょっと出
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