「まア、其処までせんでも……」
 父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
 運悪く其処に芳子は茶を運んで来た。
 時雄は呼留めて、その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為めに、その前後の手紙を見せ給えと迫った。
 これを聞いた芳子の顔は俄《にわ》かに赧《あか》くなった。さも困ったという風が歴々《ありあり》として顔と態度とに顕《あら》われた。
「あの頃の手紙はこの間皆な焼いて了いましたから」その声は低かった。
「焼いた?」
「ええ」
 芳子は顔を俛《た》れた。
「焼いた? そんなことは無いでしょう」
 芳子の顔は愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》赧《あか》くなった。時雄は激さざるを得なかった。事実は恐しい力でかれの胸を刺した。
 時雄は立って厠《かわや》に行った。胸は苛々《いらいら》して、頭脳《あたま》は眩惑《げんわく》するように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝《つ》いて起った。厠を出ると、其処に――障子の外に、芳子はおどおどした様子で立っている。
「先生――本当に、私は焼いて了ったのですから」
「うそをお言いなさい」と、時雄は叱《しか》
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