推《お》して、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望《のぞみ》。文字は走り書のすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、その日は毎日の課業の地理を二枚書いて止《よ》して、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。その手紙には女の身として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たるの義務を尽さなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々《るる》として説いて、幾らか罵倒《ばとう》的の文辞をも陳《なら》べて、これならもう愛想《あいそ》をつかして断念《あきら》めて了《しま》うであろうと時雄は思って微笑した。そして本箱の中から岡山県の地図を捜して、阿哲郡《あてつぐん》新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川《たかはしがわ》の谷を遡《さかのぼ》って奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその附近の地形やら山やら川やらを仔細《しさい》に見た。
 で、これで返辞をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて
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