その女に就いていろいろな空想を逞《たくましゅ》うした。恋が成立って、神楽坂《かぐらざか》あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう……。いや、それどころではない、その時、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。……平気で後妻に入れることが出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。
 神戸の女学院の生徒で、生れは備中《びっちゅう》の新見町《にいみまち》で、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通の手紙を受取ったのはその頃であった。竹中古城と謂えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞えておったので、地方から来る崇拝者|渇仰者《かつごうしゃ》の手紙はこれまでにも随分多かった。やれ文章を直してくれの、弟子《でし》にしてくれのと一々取合ってはいられなかった。だからその女の手紙を受取っても、別に返事を出そうとまでその好奇心は募らなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通まで貰《もら》っては、さすがの時雄も注意をせずにはいられなかった。年は十九だそうだが、手紙の文句から
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