、三人目の子が細君の腹に出来て、新婚の快楽などはとうに覚《さ》め尽した頃であった。世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作《ライフワーク》に力を尽す勇気もなく、日常の生活――朝起きて、出勤して、午後四時に帰って来て、同じように細君の顔を見て、飯を食って眠るという単調なる生活につくづく倦《あ》き果てて了《しま》った。家を引越歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、外国小説を読み渉猟《あさ》っても満足が出来ぬ。いや、庭樹《にわき》の繁《しげ》り、雨の点滴《てんてき》、花の開落などいう自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。道を歩いて常に見る若い美しい女、出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った。
三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶《はんもん》で、この年頃に賤《いや》しい女に戯るるものの多いのも、畢竟《ひっきょう》その淋しさを医《いや》す為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。
出勤する途上に、毎朝|邂逅《であ》う美しい女教師があった。渠はその頃この女に逢《あ》うのをその日その日の唯一の楽みとして、
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