、紫インキで、青い罫《けい》の入った西洋紙に横に細字で三枚、どうか将来見捨てずに弟子にしてくれという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然《しか》るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んでみたいとのことであった。時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ――女学校を卒業したものでさえ、文学の価値《ねうち》などは解らぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速《さっそく》返事を出して師弟の関係を結んだ。
それから度々《たびたび》の手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖の無い、すらすらした、将来発達の見込は十分にあると時雄は思った。で一度は一度より段々互の気質が知れて、時雄はその手紙の来るのを待つようになった。ある時などは写真を送れと言って遣《や》ろうと思って、手紙の隅《すみ》に小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了った。女性には容色《きりょう》と謂《い》うものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手に為ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学を遣ろうというような女だから、不容色《ぶきりょう》に相違ない
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