あり》候、御多忙の際には有之候えども、是非々々御出京下され度《たく》、幾重にも希望|仕《つかまつり》候。
[#ここで字下げ終わり]
 と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国|新見町《にいみまち》横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思いきって婢《おんな》を呼んで渡した。
 一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町《いなかまち》、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈《たけ》の高い、髯《ひげ》のある主人がそれを読む――運命の力は一刻毎に迫って来た。

        八

 十日に時雄は東京に帰った。
 その翌日、備中から返事があって、二三日の中に父親が出発すると報じて来た。
 芳子も田中も今の際、寧《むし》ろそれを希望しているらしく、別にこれと云って驚いた様子も無かった。
 父親が東京に着いて、先《ま》ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日の午前十一時頃であった。丁度日曜で、時雄は宅に居た。父親はフロックコートを着て、
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